突然の質問ですが、一日のどこかで空を見上げて「あー、この雲の形面白いな。」「エンジェルラダーだ!いいことあるかも。」「今日の夕日は本当にきれい」などと思われることってありますか?
ヘレン・ケラーの言葉
かの有名なヘレン・ケラーはこうおっしゃっています。『カーネギー名言集』 ドロシー・カーネギー編 神島康訳 の中にヘレン・ケラーの名言を引用すると、
「どんな人にとっても、何か特別な楽しみにふける時間がぜひ必要です。たとえ五分間でもよいから、一日に一回は美しい花や空の雲や星を見に外へ出ましょう。詩をそらんじるのもよいし、仕事に疲れた人々を慰めるのも、よいではありませんか。美の女神や喜びの神と笑顔を交わすのを後まわしにして、退屈な仕事やおつき合いばかりでは、くたくたになるほど体を酷使しても意味ないではありませんか。こうした美しい、いつまでも新鮮な、永遠なるものを人生のなかに取り入れない限り、必ず天の恵みから、われとわが身を閉め出すことになり、その人の目に映り、手に触れる、すべての世界には、灰色の塵が積もることになります。空が大地より明るいといっても、大地そのものを心ゆくまで楽しまないうちは、大して意味はありません。その美しさを心から愛してこそ、日の出と星の輝きに心から打たれる資格が得られるのです。」
私がはじめてこの言葉を知ったのは23歳の時で、ものすごく衝撃をうけました。お恥ずかしながら、教科書や絵本でよく出てくる、サリバン先生の情熱的な指導のおかげで、言葉を覚えて人間らしくなっていくぐらいしかヘレン・ケラーのことを知らなかったのです。
後で調べれば、彼女の功績はいかにすばらしかったかよくわかりましたが、上記のような感受性のすばらしさにも驚きました。
五体満足の私は、それまで空の美しさも星の輝きも花の美しさも人生に取り入れることはほとんどなかったからです。
空が広い街のおかげで…。
私の実家は近くに高層なマンションや団地が多かったので、空が断片的しか見れませんでした。雨が降るかどうか位で空を見る程度で、美しいと思うことはありませんでした。
嫁ぎ先は、山が近すぎて朝日や夕日をみることは、ほぼほぼなかったです。心に余裕がなくてほとんど空を見上げることはないし、夜空の星が多いなと思っても美しさを味わうことができませんでした。
この街には3年前にきました。山が遠くて、高い建物もほとんどないので、空がとても広いです。
心に余裕ができたのか、空の美しさに感動する日々です。
雲の形は、空を見る方角を少し変えるだけで趣が全く違うことが多いです。芸術作品のような美しさも多いです。虹もよく見ます。
何となく雲の多い空の夕日は、東の空の雲がびっくりするほど赤い時があります。「あれ?こっち東だよね?」と驚いていると、息子A,Bが鬼の首をとったように「お母さーん、学校で習わなかった?夕日が東の空の雲に当たって赤く見えるの、忘れちゃった」とニヤニヤしながら言われました。(正直、全然記憶にありません。いつ習うのでしょう?小・中・高?)
心に余裕がないと、空の美しさも花の美しさも感動できません。
皆さんももし覚えていたら、空を見上げて美しいと思えるか試してみてください。
美しさを感じられない日々が続いたら、ご自身にご褒美をあげていたわってあげてください。
きっと頑張りすぎです。
無理しないでくださいね。
本日もお読みくださりありがとうございました。
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